マドリからみる映画『君の膵臓をたべたい』の謎と妄想

もう、泣いていいですか?

映画「君の膵臓をたべたい」メイン画像09

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

いやあ、さじ加減が難しい演技ですよね。
あまりにも大声で泣くと観ている人が引いちゃうかもしれないですし。
現場の判断は大変だったんだろうなあと思います。

映画「君の膵臓をたべたい」泣く仲良しくん画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

さて、桜良の自宅での『もう、泣いていいですか?』というセリフについてです。
ちなみに桜良と【仲良し】くんが人前で涙を見せたのは、この家だけとなります。

「もう」ということはつまり、それまで泣くのを耐えていたということだと思うんですけど、それはいつからなんですかね?
普通に考えればもちろん共病文庫を読んでいる途中からってことですよね。
でも、本当にそれだけですかね?

桜良の場合は共病文庫があるので、結構泣いていたことがのちに分かります。
1回涙を見せた以外は、ずっと笑っているような印象が強かったですけども。
まあでも病に罹っている本人だし、なにかしらのことはあるとは思っていましたよね、

では【仲良し】くんの場合はどうでしょうか?
もしかしたら桜良と同じように隠しているのではと思ったことはありませんか?

【仲良し】くんが劇中で泣いているのはこの時以外に2回ありますが、ひとつは12年後である映画のラストシーン、もうひとつはこれも12年後の自宅で共病文庫を読んでいる時です。

映画「君の膵臓をたべたい」12年後仲良しくん泣き画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

ということは高校時代の【仲良し】くんは泣いていなかったということになるかというとむしろ逆で、高校時代も自宅で泣いていた可能性がゼロではないのではないか、と思うんです。
結果が分かっているとはいえ、大人の【仲良し】くんが泣いているのに、子供の【仲良し】くんが泣いていなかったとは言い切れないからです。

次に「泣いていいですか」の前フリとして出てくる「お門違い」というワードについてです。

現在では「目指すところを取り違えていること」というような意味で使われることが多いみたいです。
「取り違えてる」もやや微妙な言い回しで、どちらにせよちょっと分かりにくいですが。
このワード自体は最初期とこのときの2回出てきます。

映画「君の膵臓をたべたい」お門違い画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

初めて現れたのはスイーツパラダイスの前、日曜11時の待ち合わせ場所です。
桜良に『(秘密を知ったのに)全然平気な顔でいるじゃない』と言われたことへの返しのセリフとして現れます。

『それは、一番つらいはずの当人が悲しい顔を見せないのに、他の誰かが代わりに泣いたりするのってお門違いだから』

「お門違いだから」を「目指すところを取り違えているから」と言い換えてもまあ問題なさそうですよね。
ただ逆にいえば当初から「目指すところ」を自分なりに考えていた感はあります。
桜良と会う直前まで本を開いていたということにも注意すべきです。

映画「君の膵臓をたべたい」本を読む仲良しくん画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

次に出てきたのがこの自宅のシーンで、桜良のお母さんに『あなたのおかげであの子はしっかり生きることができた』と言われたことへの返しのセリフです。

『お母さん、お門違いなのは分かっているんです。でもごめんなさい。もう、泣いていいですか?』

「あなたのおかげで」というお母さんに対して、返しのセリフとして「お母さん、目指すところを取り違えているのは分かっているんです」と何の前フリもなしに言うのは、何かおかしくないですか?
おかげでって言ってくれているのに取り違えてると言われても、みたいな。

また、先の例で言っても当人といっていいお母さんは悲しい顔を見せていますし、代わりに泣くというか一緒に泣くことになるわけだし、そもそも前提条件や状況が違います

映画「君の膵臓をたべたい」お母さん泣き画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

それだったら「お門違い」の元々の意味である「家が違う(場所を間違えている)」のほうがまだスムーズではないでしょうか?

「お母さん、家が違う(場所を間違えている)のは分かっているんです。でもごめんなさい。もう、泣いていいですか?」

やはりもしかしたら、自分の家では泣いていたんじゃないでしょうか?
ただ当人が悲しい顔を見せないうちは「当人の前では」平気な顔でいる、という目指すところを決めていただけで。
1回目と2回目で使うワードは同じでも、桜良みたいに微妙に意味を変えてるんじゃないですかね。

映画「君の膵臓をたべたい」仲良しくん自宅画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

桜良はその選択と意志で笑顔を続けましたが、そんな彼女の前では、【仲良し】くんもその心の壁を使って感情を表に出さないようにずっと我慢して、平気な顔を続けていたのかもしれません。
九州へのお泊り旅行で『ずるい』と言われた時も、夜中に病院へ忍び込んだ時にハグを返さなかったのも、お葬式に行かなかったのも、もうその時々で限界ギリギリだったのを、壁が壊れて感情があふれ出してしまうのを耐えるためだったのかもしれません。

もしかしたら学校の屋上で『君だけは違う』と買い被られたことに答えるために、もしかしたら観客にも目に見えないほどの強さで。

映画「君の膵臓をたべたい」屋上見上げる仲良しくん画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

彼は他人の気持ちを撥ね退けているわけではないんです。
そもそも桜良が彼を選んだ理由のひとつは、むしろその高い感受性なんです。
しかしこのとき、家が違うにもかかわらず、ついに内なる気持ちに耐え切れず涙があふれてしまったのではないでしょうか。

映画「君の膵臓をたべたい」泣き崩れる仲良しくん画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

そしてここで【仲良し】くんの高校時代の思い出は終わります。

桜良と過ごした期間は4月12日から6月11日までのわずか2ヵ月間です。
しかし残念ながらこのあと図書の分類は放り出され、共病文庫は自宅の本棚の奥に仕舞われ、つまり思い出は心の図書館に封じ込められてしまいます。

生前の桜良の言葉をきっかけに先生にこそなりはしたものの、恭子とは友達ではなく、12年後の現在は辞表を書きしたためるほど自信を失ってしまっています。

 

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