マドリからみる映画『君の膵臓をたべたい』の謎と妄想

らせん階段のように図書館で始まり図書館で終わる

映画「君の膵臓をたべたい」メイン画像02

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

図書館について

初見のときは「こんな立派な図書館が高校に、しかも別館であるなんてスゴいなあ。普通は教室に毛が生えたくらいの図書室でしょ。教会でも借りて図書館に改造したのかな」などと思ったりもしました。

ところが驚いたことに、高校どころか小学校に付属している実在する図書館だそうです。
滋賀県にある「豊郷小学校旧校舎群」のひとつがそれで、ただしいまは小学校の校舎としては使われておらず、登録有形文化財として観光地になっています。

なので図書館もいまは図書館ではなく、記念館になっているとか。そのため、撮影の時は仕込みで10万冊弱の本を借りてきて元の図書館の姿に戻したみたいです。めちゃくちゃ大変そうですが、しかしその価値は十分以上にあったと思いますよね。

豊郷小学校旧校舎群酬徳記念館

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最初に俯瞰で見させられているせいか、図書館はまずその中身の大きさに驚きます。
非常に頑丈そうな柱と高い天井、部分的には二階もあります。
そして強く印象を残すのが大きな窓や本棚の隙間などからあふれてくる光。
本当に美しく壮健な建物ですよね。

当然といえば当然ですけど、本の壁が二階まで張り巡らされてるような、そんな本の量にももちろん圧倒されます。俯瞰の映像で見ないとちょっと気付きにくいですが、カウンターが向かい合うようにふたつあるのも特徴的ですよね。
さらにはバックヤードというか書庫まできちんとある。

映画「君の膵臓をたべたい」図書館2階画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

ともあれここまで美しい舞台装置があると、映像的に映画を成立させますよね。
またここまで本の量が多いと、これを図書委員としてほぼ整理した主人公のキャラクターが一目瞭然です。

そしてこの図書館はこの映画において高校時代も12年後もそれぞれ何度も登場します。

ではなぜ、図書館をそんなに出す必要があるのか?
二人が図書委員だからか?
思い出の場所だからか?
風景として美しいからか?

当然、それ以外にも理由はあります。
そしてこの理由が分かると、この映画の謎というかテーマがより楽しめると思います。

 

間取り図からみる他者との壁

ここで一旦【仲良し】くんの自宅について語る必要があります。
図書館と同じく彼の居場所であり、その大きな共通点から分かる秘密があるからです。

それでは「マドリからみる」などと銘を打っておきながら、まさかの最初で最後の間取り図、大人になった【仲良し】くんの自宅です。

映画「君の膵臓をたべたい」自宅間取り画像

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まあ、まったく普通の2LDKですね。
50平米台といったところでしょうか。
地元であるにもかかわらず実家ではなくマンションで一人暮らしです。

リビングを書斎として使用しているのが面白いですね。インターネットで株取引をやっている人やなんかで見たことがあるような使い方です。映画好きドラマ好きならテレビをドーンと置きたいところですが、おしゃれな家というか、特に邦画の中の家ではそのような配置はあまり見かけません。

そして下記がその室内画像。

映画「君の膵臓をたべたい」自宅画像2

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ついでに高校時代の自宅室内画像。

映画「君の膵臓をたべたい」自宅画像02

Copy Rights(c)At Home Co.,Ltd.

映画を見たときのイメージより部屋が広い気がします。
そして思っていたよりずっと本棚が少ない。
開口部の問題もあって各部屋に一面+αくらいです。
もっと四方を本棚で囲まれた狭い部屋だった感じがしませんでしたか?

いや実はこの本棚で囲まれたイメージというのが非常に重要なんです。

実は【仲良し】くんの自宅で本人を撮影するときというのは、高校時代もそうなんですけど、出来る限り本棚と一緒に映るように撮っています。
そのようにわざと演出しているんだと思います。
だからいつも本棚があるような感じがする人はすると思います。
なぜか?

【仲良し】くんにとって本は他者との壁、つまり心の壁として象徴されているからです。

本来は彼の「本が好き」というキャラクターを表すためです。
しかし同時に本の壁によって他者に対して自分の感情を抑えたり隠したりしていることも意味しているんです。
もちろん言動を見ているだけでも他人と壁を作っているというのは分かりますが、その壁を本で象徴することによって、さらに色々なことが表現できます。

例えば彼に対して桜良が『ずっと本と向き合ってて、まるでじいっと自分と戦ってるみたい』という印象を持っていたことがのちに分かります。

当たり前ですが、本は開いたり閉じたりすることでその中に書かれている文章を読んだり隠したりすることが出来ます。
同じように象徴としての本にもドアのような役割があり、つまり【仲良し】くんが本を開いているときというのは壁の内側、自分自身の心の中を見ているときでもあります。

要するに本を読むことで自分の心をコントロールしているわけです。
なので桜良の『自分と戦ってるみたい』は言い得て妙ですよね。

では、その本の壁の内側である心自体は何で表されているのか?

 

図書館が象徴するものについて

高校時代の【仲良し】くんにとって、あの図書館は彼の心そのものとして表現されています。

だからどうしても本の壁が張り巡らされたような、そしてあのように美しく壮健な建物でなければいけなかったのです。
桜良が彼の心に驚嘆したり憧れたりした理由も一目瞭然ですね。

映画「君の膵臓をたべたい」図書館6

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

また彼は驚異的な忍耐力と精度で図書館の図書を分類していますが、同じように感情のコントロールもしているのだろうというのが想像できます。
つまり図書館ひとつで、彼の現実的なキャラクターと心的な動きのふたつを同時に表していることが分かります。

【仲良し】くんが共病文庫を読んでも動じなかったのも分かりますよね。
これだけ頑丈そうであれば、そう簡単にその中の感情は表に出てこない。
まわりから責められても桜良の秘密は絶対に言わなかったのも分かる気がします。
そして、彼が最後まで桜良に日常を与え続けられた理由もここにある気がします。

映画「君の膵臓をたべたい」廊下を歩く仲良しくん

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

映画の冒頭、桜良が図書館の中で本の分類をわざと間違えたりしますが、それはストーリー上の伏線や彼女のキャラを見せるほか、ビジュアル的に彼の心の中に彼女が入ってきたことや『領域を踏み荒らされた』ことを表してもいます。

その他にも通称ガム君のガムを初めて食べるのがこの図書館の中です。
おそらくそれは心を許したことを心象風景的にも表現しているんだと思います。

映画「君の膵臓をたべたい」図書館ガム君

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

もうひとり、学級委員長も図書館に入ってきますが、『(桜良は)来ないんじゃないかな』と言われたこともあり、居心地悪そうにすぐに出て行ってしまいます。
のちのシーンを予言しているようでもあります。

ちなみに図書館の深部であり一般生徒は立入禁止の書庫、つまり心の深部にまで入ってきたのは桜良のみです。

映画「君の膵臓をたべたい」書庫画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

わりと最初期に書庫に入ることを許してしまっていますが、それは桜良に『私自身に興味は?』と問われ、【仲良し】くんが逃げるように書庫へ入ったため侵入されているのです。
なかなか判断に迷うところではありますが、もしかしたら最初期からすでに桜良は特別だったのかもしれませんね。

映画「君の膵臓をたべたい」教室桜良を見る仲良しくん画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

また、そのときの桜良は『ねえ、ここすごいねえ』と感心しきりで、他人に興味が無いとうそぶく【仲良し】くんに「星の王子さま」を手渡します。
【仲良し】くんもまた最初期から特別な存在になるべき人だったのかもしれません。

映画「君の膵臓をたべたい」教室仲良しくんを見る桜良画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

そして高校時代の物語の前半は、いつも図書館にいる【仲良し】くんを桜良が色々な場所へ遊びに連れていく、つまり心の中に閉じこもる彼を外の世界へ連れていく構図になっています。

スイーツパラダイスも、九州へのお泊り旅行も、自宅へ呼んだのもそうです。
桜良が彼を壁の外へ、多少強引ながらも引っ張り出したんです。

【仲良し】くんも図書館の外では、比較的無防備になります。
特に最初にスイパラに連れて行ったのは、結果的にナイスだと思います。

 

心の一部分となったものについて

しかし12年後の【仲良し】くんにとって、図書館はすこし違った意味になります。

桜良に外の世界へ連れ出された結果心が広がった彼にとって、あるいは大人になって心が広がった彼にとって図書館は心の一部分と化しています。

12年後の図書館は心の片隅に置いてある彼女との美しい思い出が詰まった宝箱であり、逆にいえば悲しい思い出を閉じ込めた檻、あるいは絶対に守らなければいけない思い出が入った金庫とも言えるかもしれません。

映画「君の膵臓をたべたい」図書館外観

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

なので図書館全体の外観が見えるのは12年後の【仲良し】くんだけとなります。

高校時代の彼には自分の心そのものなので、全体を俯瞰して見ることは出来ません。
だから高校時代の図書館は内部の映像しか(外扉まわり以外は)出てこないのです。
ただし一部分化したその時期については、もしかしたら桜良の亡くなったときかもしれません。

校舎から独立した建物でなけれはいけなかった理由は、心の変化による違いを見せるためということですね。
ちなみに図書館外観は滋賀大学講堂で、こちらも登録有形文化財だとのことです。

ともあれその心の中の図書館は、現在では本人でも手が付けられないというか、入りたくない見たくない状態になっていた様子です。

映画はそんな12年後の【仲良し】くんが、断れない事情により、再びこの図書館のドアを開くところから実質的には動き始めます。
かつての自分と似ている図書委員と出会い、かつてここにいた少女の話を語り始めます。

ちなみに桜良の幻影が図書館の中にしか現れないのもこのためだと思います。
【仲良し】くんの心の箱の中にしか幻影はいないのです。

つまり12年後の物語というのはもう一度桜良に会うために、あるいは宝物を見つけに、もしくは自分を変えるために心の中に潜っていく構図となっているんです。

高校時代は心の外へ、12年後は心の中へということですね。

 

対になっているものについて

しかし最初期にラストへの仕掛けが含まれている構成ってやはり良いですよね。
もう一度見てみようって感じになるし、それでまた新たな発見があったりするし、それを誰かと語り合いたいって感じにもなります。

桜良の幻影が現れるところなんか、映画を観るのが2回目以上にもなるとその時点で泣くことになります。

非常に優秀な脚本ですよね。
どこまでを誰が決めたのか詳しくは分かりませんが、もちろん原作が持つ高いポテンシャルがあってこそですが、飛び抜けて優秀な脚本家さんが物語に手を入れているのは間違いないです。12年後が付け加えられたことにビクともしないどころか、むしろ最大限以上に生かしていると思います。
定番といっていいジャンルでも書く人が書けばここまで違うのかという感じです。

ちなみに桜良の幻影に導かれるように出会った現役図書委員の「彼」、主人公のシャドーとも言える(彼の名前も終盤まで分からない)存在を演じられている役者さんも非常にいい味を出していますよね。
役柄的にはさらに冴えない感じですが、こういう人はずっと売れ続けると思います。

映画「君の膵臓をたべたい」現役図書委員画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

さて、図書館についてもうすこしだけ。

図書館が非常に重要な存在で、何度も出てくる理由は「平気な顔」を続ける主人公の心を表しているからということは述べましたが、もうひとつ言えることがあります。

それはこの映画では肉体と心、あるいは現実世界と精神世界、もしくは目に見えるものと目に見えないものが同等の価値として語られているということ。

例えば図書館は現実としての役割と心としての役割とで「対」になっており、またそれぞれが「存在するもの」として描かれています。
そしてさらに高校時代から12年後へ向かって、あるいは映画の始まりから終わりに向かって同じ図書館でも「変化」すること。

つまりDNAなどのように二重らせん構造になっているのがこの図書館、ひいてはこの映画の大きな特徴なんじゃないかと思います。

ここからは完全に妄想ですが、おそらくは逆算から作ったのでこのようなカタチになったのではないでしょうか。
原作付き、あるいはジャンルものとして主人公が死ぬことは決まっています。
しかしそれでもその女の子を生かすことはできないか?
では、そもそも生きるとはなにか?という風に。

ともあれ、「対」になっていてらせん的に「変化」しているのはもちろん図書館だけではありません。
例えば【仲良し】くんが1回目は無理矢理、2回目は自分の意思で行ったスイーツパラダイスなどもそうです。

 

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