マドリからみる映画『君の膵臓をたべたい』の謎と妄想

彼の膵臓を彼女はたべることができたか

映画「君の膵臓をたべたい」メイン画像15

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

ラストシーンについて

桜良と春樹は良いところも悪かったところもすべて分かり合ったように、図書館の中でただお互いを見つめ合っています。
もはや言葉は必要ないのでしょう。

ただし、物語の中で二人は様々な約束を果たしてきましたが、もうひとつ約束が残っています。
もちろん、二人一緒に満開の桜を見る約束です。

そして12年後ではあるけれど、図書館の窓からは満開の桜を見ることができます。
ついに、すべての約束は果たされる時がきたのです。

ちなみにこのときの小栗旬さんの桜良を見る表情はもう抜群に良いです。
なんというか観客と完全にシンクロしているというか、同じ表情で桜良を見ていると思わせてくれる表現力です。少なくとも個人的には自分の表情とまったく同じ表情で桜良を見ていると感じました。
いや、もちろん実際はもっとブサイクなわけですが。
とにかく、さすが小栗旬さんとしか言いようがないほど感動しました。

映画「君の膵臓をたべたい」桜良を見つめる春樹画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

さてさて。
このラストカットというのは正確には、春樹一人が窓の外を見ているカットであって、そののち暗転してエンドロールが流れます。
では、桜良はどこに行ったのか?

まあ、別に何の説明も無いので「解釈は人それぞれにお任せします」という感じですよね。だから人によっては桜良も満足して天国に旅立ったという解釈をしている場合もあるとは思いますが、断固反対します

もしかしたら監督さんや脚本家さん演者さんたちも、桜良は光あふれる天国へ旅立ち、そして桜を見るたび思い出そうね的な意図でこのカットを作ったのかもしれませんがそれでも断固反対します。
そんなことが許されるわけがない。

桜良はその本当の願いを叶えたんです。
桜良はついに膵臓をたべたんです。

だから図書館から本が消えたんです。
だから心の図書館が破壊される象徴として、実際の図書館も解体されたのです。

映画「君の膵臓をたべたい」本が消えた図書館

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

ついに春樹の壁を壊し春樹自身になったから、桜良は目に見えなくなっただけなんです。
それ以外にあってはならないと思うんです。

それぞれが『君の膵臓をたべたい』と願い伝えることは、同時にそれぞれの了承でもあり、そしてそれぞれの膵臓をたべることだと思うんです。
ふたつの『君の膵臓をたべたい』を揃えることがお互いの壁を越え共に生きるための条件だったんだと思うんです。

その結果、真の意味で二人一緒に満開の桜を見ることができたということではないでしょうか。

おそらくはラストカットの直前、春樹が強く息を吸い込んだ瞬間に一体化し、私たちには桜良が目には見えなくなっただけなんです。
もちろんこのあと、春樹と桜良は共に生き続けるに違いありません。

ただ二人一緒になってしまったので、二人がまた握手をしたりハグをしたりするのは、やはり天国に行ってからかもしれませんね。

例えるなら“It’s a lonely road, but I’m not alone.”ですかね。

映画「君の膵臓をたべたい」一緒に桜を見る画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

 

星の王子様について

ここで劇中の「星の王子さま」についてすこしだけ語りたいと思います。

映画「君の膵臓をたべたい」星の王子さま原書

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

読んだことのある方は分かると思うんですけど、非常に抽象的な小説なんですよね。
「星の王子さま」自体が様々な研究がされ、色々な解釈が生まれている作品なんです。

そしてそういう作品を他の作品に当てはめようとすると、いくらでも当てはめられちゃうんですよね。それは正直いってキリがないし、また頼らずとも十分語れると思いバッサリとカットしようと思っていました。

しかしそれでも、3つの意味だけはおそらく書き残しておいたほうがいいのではと思い直しました。

ひとつめは『かんじんなことは、目に見えない』。
これはこの映画における春樹の最初のセリフでもありますが、この物語を観る上でのキーワードでもあるという作り手からのメッセージじゃないですかね。桜良の最初のセリフであり最後のセリフでもある『君の膵臓をたべたい』と対になっているようななっていないような気がします。

これだけは「星の王子さま」の内容に関わることなので春樹に直接喋らせていますが、逆にいえば内容についてはこれだけに注意すればよく、キツネだとかバラだとかについてはあまり斟酌する必要が無いというのが個人的な考えです。
また劇中のセリフでもあるので、特に「星の王子さま」に触れなくても語れると思っていました。

ふたつめは単純に物理的な小道具としての役割。
遺書の隠し場所の目印として利用したということ。
最初に書庫で手渡し最後に書庫でまた発見するという、物語の構成上あるいは演出上必要だったということですね。これは極端に言えば別の本でも代替が利いたと思います。

映画「君の膵臓をたべたい」星の王子さま和訳

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

そして最後はおそらく内容とは関係が無く、「王子様」というワード自体を単純に利用しているということ。
まず「星の王子さま」の本の移動は以下のとおりです。

  1. 書庫で桜良から春樹へ「星の王子さま」が手渡される。
  2. 春樹が「星の王子さま」を学級委員長に盗まれる。
  3. 桜良の家で別の「原書版星の王子さま」が見つかり、春樹はそれを手に取る。
  4. 桜良に「彼女にする気」を聞かれ、春樹は「原書版星の王子さま」を手から離してテーブルに置く。
  5. 「いけないこと」が失敗に終わり、桜良がテーブルにある「原書版星の王子さま」を手に取りを抱きしめる。
  6. 春樹が桜良を押さえつけ、桜良からも「原書版星の王子さま」が離れ床に落ちる。
  7. 雨の中、「星の王子さま」が学級委員長から春樹の手に渡る。
  8. 「雨で汚れた星の王子さま」を春樹は桜良に返す。
  9. 桜良が遺書と一緒に「原書版星の王子さま」を書庫に隠す。
  10. 12年後の書庫で、春樹が遺書と一緒に「原書版星の王子さま」を発見する。

どうでしょうか?
前述のとおり色々な解釈が出来そうではあります。
まず気になるのは「星の王子さま」が翻訳版と原書版の二種類あるということです。

ともあれこのうちの1、9、10は前述のとおり遺書に絡んだ移動ですよね。
そして残りはすべて「とても悪くて良い日」に集中しています。
しかも非常に細かく移動している。このときは「彼女にする気」発言がされたり桜良の元彼が登場したりする日でもあります。

つまり、「星の王子さま」の所有は桜良の「王子様」は誰かを指し示しているんじゃないかと思うんです。
逆にいえば、桜良は「自分の王子様」を待っていたんじゃないでしょうか。

桜良という女の子を見るときというのはどうしても膵臓の病気とセットで見てしまいます。
結果、やはり非常に強くてそして可哀想な女の子に見えますよね。

ただ一方で普通というかロマンチックというかどこにでもいる女の子でもあって、自分の王子様を待っているただのお姫様でもあるということを「星の王子さま」を利用して表現しているんじゃないでしょうか。
つまり、「星の王子さま」に絡んだ部分は膵臓の病気とは関係が無く、ただ桜良という女の子の部分だけを表現しているんだと思います。

その視点で見ると1で最初に「星の王子さま」を『私のだけど特別に貸してあげます」と渡したときというのは、『これでも読んで勉強したまえ』という風に桜良にとって春樹はまだ王子様候補に過ぎなかったという表現にも見えます。

さらにその視点で見るならば、結果的に「真実か挑戦」で春樹は桜良を「お姫様」抱っこします。桜良は『ありがとうお姫様抱っこ、子供の頃から憧れてたんだ』と喜びます。
もしかしたらこのときに候補ではなくなっていたのかもしれませんね。

そして5の「いけないこと」が失敗した直後に桜良が恥ずかしそうに「原書版星の王子さま」を抱きしめるところ。
お気に入り過ぎてうまく言葉にしづらいんですが、劇中最高度に桜良の乙女感が全開のカットと言っていいんじゃないでしょうか。

映画「君の膵臓をたべたい」星の王子さまを抱きしめる桜良画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

そして前後しますが、4で春樹が「原書版星の王子さま」を手放したときというのは、「本当の王子様」になり損ねたことを表しているのかもしれません。
春樹目線で言えば、この人は基本的に感情が読みづらいんですが、単純に「彼女にする気」を聞かれてビックリして手放してしまっただけのような気がします。そのあと沈黙して見つめ合ったり本気で怒ったりしたところから、彼にもなにかしら思うところはあったはずとは思いますが。

しかし8の「雨で汚れた星の王子さま」を桜良に返したときというのは、彼女を涙で濡らしてしまったことに対してあきらかに心が折れた様子で、春樹が「王子様」の資格を返却した、もしくは失ってしまったという意味だと思います。

そしてこのあと、春樹は「星の王子さま」の所有を失ったまま、奮闘することになります。

その結果、改めて9あるいは10で再び「原書版星の王子さま」を贈られることにより「本当の王子様」の資格を与えられる、あるいは「私の王子様の役割を君はちゃんと果たせてたよ」というような桜良の気持ちが表現されているということではないでしょうか?

この映画は恋愛部分というのはあえて比較的抑えて作られているような気がします。
その代わりに「星の王子さま」を利用してささやかながら恋愛パートを補完しているのかもしれません。

映画「君の膵臓をたべたい」お姫様抱っこをする春樹

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

ちなみに遺書を発見するルートというのももしかしたらもうひとつあったのかもしれません。
共病文庫を取り行ったときなどに「原書版星の王子さま」が桜良の自宅に無いこと、そして退院直後に図書館に寄っているというメールの違和感にもしも気付けていたら、ですけど。

 

本当のラストシーンについて

図書館の章で、実質的にこの映画は図書館で始まり図書館で終わるなどと書きましたが、時系列的にはもちろん違います。

時系列的にはこの映画は、教室のシーンで始まり教室のシーンで終わります。
ホントにおしゃれな作りですよね。

映画「君の膵臓をたべたい」教室ラスト画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

前述の満開の桜を見るシーンはあくまでも回想であり、よって本当のラストシーンは別にあるという見方も出来るかもしれません。
つまり、膵臓をたべたあとの春樹たちの姿が垣間見えるんですよね。

その図書館が解体されるシーンもなかなか印象的です。
もちろんそもそも春樹の都合とは何の関係もなく解体される予定ではあったんですが、春樹と桜良の思い出の場所であることや彼の心の象徴だったことも合わせると感慨深いです。なんだかんだギリギリ遺書が見つかってやはり良かったですよね。

象徴としての意味はいままで書いたとおりです。
そもそも桜良は春樹の心の中にはいた。
しかし頑丈な図書館に閉じ込められていて、誰とも心を通わせられないような状態だった。
そしてその心の図書館を破壊して二人は一体化し、共に生きられるようになったという感じですよね、たぶん。

映画「君の膵臓をたべたい」図書館解体画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

春樹の分身といっていい存在だった現役図書委員の彼、クリヤマ君とその仲良しのつもりのモリシタさんもいいですよね。

この映画は現実的には4つのストーリーが同時に展開する、というか交差する物語でもあります。

ひとつはもちろん桜良と【仲良し】くんの物語。
次にその12年後である春樹と恭子の物語。
さらに通り魔による殺人事件。
最後にこのクリヤマ君とモリシタさんの物語。

そして時系列的にはクリヤマ君とモリシタさんの教室シーンで始まり教室シーンで終わる映画でもあります。彼ら目線で言えばいままでの物語は仲良しになるキッカケをくれた先生の、とある思い出話でもあるわけです。

映画「君の膵臓をたべたい」春樹とクリヤマ君画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

クリヤマ君が春樹の話をきちんと自分のこととして受け止められる子で良かったです。
彼らが名前で呼び合う姿を見て次の世代に対して、あるいは疑似的な意味で、春樹と桜良も喜んだんじゃないでしょうか。
モリシタさん健康そうだし、きっとうまくいきますよね。

 

さてさて、映画の冒頭では黒板に向かって授業をしていた先生も、クリヤマ君をはじめとした生徒たちに、きちんと向き合って授業をするようになりました。
大した変化じゃないし見方によってはたまたまという感じもしますが、もちろん大いなる一歩でありこの物語に偶然は存在しません。

誰よりも時間の貴重さを知り、心が強く、人を見る目があり、控えめながらも優れた言葉遣いのできる春樹たちは、きっと良い先生になりますよね。

 

この批評もここでおしまいです。

 

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