マドリからみる映画『君の膵臓をたべたい』の謎と妄想

君の膵臓をたべたい

映画「君の膵臓をたべたい」メイン画像12

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

「君の膵臓をたべたい」の意味について

この物語のタイトルでもあり重要なセリフであるこの『君の膵臓をたべたい』なんですけど、結局どういう意味だったか知りたいですよね?

しかしですね、あくまでも個人的な見解ということで許してほしいんですけど、そもそも意味なんてなんとなくでいいんですよ。
それよりも「最後にそれぞれに送った言葉が同じだった」ということ自体に価値があると思うんです。

正反対と言っていい二人の、それぞれの意志と選択の結果、ある瞬間に辿り着いた、その想いの結晶が『君の膵臓をたべたい』という言葉なんです。

映画のタイトルなんだから当たり前のように感じますけど全然当たり前じゃないです。
ワードとしてはマニアックな言い回しだし、毎日何度でも言い合っていたような合言葉でもないし、そもそも片方の膵臓は現実的には悪い部分にも拘らずなんですよ。

とはいえ、この映画を愛せば愛すほど意味を知りたくなるのも人情。
以上のことを大前提として、その意味を妄想していければと思います。

結論から言うと大雑把かつ最終的な意味としては「君のようになりたいという相手を最大限にリスペクトする言葉」という言い方しかせいぜいできないのではないかと思います。
というかこれでも正しいとはまったく思えません。

なぜならお互い最後の言葉は、意図としては実はズレているんじゃないかと思うんです。
つまりワードとしては同じ、タイミングも同じ、意味もまあ同じ、ただし意図はすこしズレているみたいな。

当初、この言葉は薬用と言っていいのか「自分の悪い膵臓を治すために君(【仲良し】くんや牛など)の健康な膵臓をたべたい」というような意味ですよね。

映画「君の膵臓をたべたい」ホルモン桜良画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

次は宗教的というか形而上的というか、物語の中盤で桜良のセリフとして『私の膵臓、君がたべてもいいよ』というすこし崩れたカタチで現れます。
意味としては「私の魂(の一部分)、君がたべてもいいよ。そうしたら君の中で私の魂が生き続けられるから」というようなことで大体合っていると思います。
魂の受け継ぎについて具体的に語っていますよね。

映画「君の膵臓をたべたい」私の膵臓君が食べてもいいよ画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

そして次に物語終盤で【仲良し】くんが『君の膵臓をたべたい』とメールで送るわけですが、この時の意味としてはその魂の話を受けて「君の魂(の最良部分)をたべたい。そして君のような人間になりたい」というようなことで大体はいいと思います。

映画「君の膵臓をたべたい」仲良しくんメール改変前画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

こちらは単純な魂の受け継ぎだけではなくて、その長所を取り込みたい、心も受け継ぎたいといういわば変身願望も含まれていると思うんです。
日本の風習でいえば「骨かみ」に近いと思います。

桜良は「彼の中で生きたい」というようなことは言っていましたが、そのことによって自分のような人間に変わってほしいとまでは言っていません。
だからこれは【仲良し】くん自身が改良し発展させたオリジナルの『君の膵臓をたべたい』なんです。

そして桜良もその遺書の最後で『君の膵臓をたべたい』と同じく書き記していますが、これは変身願望というよりも合体願望のほうが強いと思うんです。
なぜなら桜良には未来の持ち合わせがないから。

「君のようになりたかった」という過去形ならまだ分かりますが、「君のようになりたい」というこれからの目標みたいな言い方を桜良がするのはちょっとおかしい。

そうではなくて「君になりたい」なんです。
いますぐ【仲良し】くんそのものになりたい。

思い出として彼の中に居たいわけじゃないんです。
彼と一体化して現在進行形として生き続けたいんです。
壁の中に保存して守ってもらいたんじゃないんです。
他者と心を通わせたいんです。

映画「君の膵臓をたべたい」桜心を通わせたい画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

これも『私の膵臓、君がたべてもいいよ』からやはり意味が変化しているんです。
ところが桜良が死んだ時点では、彼女はもちろん最後の言葉を伝えられていません。

つまり状況としては、彼女『私の膵臓、君がたべてもいいよ』⇔彼『君の膵臓をたべたい』という不完全な一致なので、桜良は魂として彼の心の中に入れはしても、彼と一体化することが出来ないでいたんです。

そして【仲良し】くんのほうも、桜良の魂がそこに居るとは知らずに、遺書と同じように気付かずに、彼女の思い出と一緒に心の図書館を閉鎖してしまうんです。

桜良が亡くなった後から共病文庫を取りに行くまでの一か月間、彼はずっと本を読み続けますが、もしかしたらそのときに、その悲しさから逃れるために覗かないで済むように、心の図書館を一部分化し閉鎖したのかもしれません。
『一ヵ月必要だった。心の準備に』と、そのときのことが劇中では語られています。

映画「君の膵臓をたべたい」自宅にこもる仲良しくん

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

現実的な意味でも、のちに図書の分類が900番台以降未整理な理由を聞かれた時に、彼女が亡くなった以降放り出してしまった旨の発言を彼はしています。
さらに彼女の思い出そのものと言っていい共病文庫も彼の自宅の本棚の奥に仕舞われていたのがのちに分かります。

桜良のようになりたいとは言っていたんですが、実際に亡くなってみたら、たぶん彼女を思い出すことの辛さのほうが上回ったんでしょうね。

ただし、彼女の自宅で共病文庫を初めて読んだ時だけは、わずかながら桜良みたいな真意を隠すような言い回し(お門違い)が見受けられます。
もしかしたらこのときだけ壁が崩れて、あるいはまだ不完全な状態だったので、桜良が心の中にいる影響が出たのかもしれません。

ともあれそんな状態では結局彼自身も大して変化をせず、ただ生前の桜良の言葉や行動に影響されて教師になったり多少心が広がったり、つまり行動範囲が広がったに過ぎない状態なんです。

そして12年後、映画の冒頭で図書館に入ったときに、桜良の幻影を見かけます。
【仲良し】くんは非常に驚いた様子ですが、このときにやっと壁の中にいる桜良を無意識的に、あるいはぼんやりと気付いたのかもしれません。

映画「君の膵臓をたべたい」幻影を見る仲良しくん画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

かなり話が脱線しましたが、まあ要するに最終的に同じ『君の膵臓をたべたい』でも2種類あって、【仲良し】くんは「君のようになりたい」(変身願望)、桜良は「君になりたい」(合体願望)という風にわずかながらも意図がズレてるんです。

さらにもうひとつ『君の膵臓をたべたい』には隠れた意味、というか目には見えない意味があります。

 

「膵臓」の意味について

実をいうと「膵臓」という単語自体の意味の変化のほうが重要かもしれません。

当初の膵臓は病気の器官、つまり「桜良の最悪の部分」という意味だったはずです。
それが最終的に【仲良し】くんは「桜良の最良の部分」という意味で使用しています。
彼は「君の長所を取り込みたい」という意味で「君の膵臓をたべたい」と言っているわけですから。

これは非常に大きな変化です。

要するにこれは桜良がいままで行動してきた結果、「膵臓」という言葉の意味を変えてしまったということだと思います。
形而上かもしれませんが彼女の意志の結果、そして彼が「君の膵臓をたべたい」と選択した結果、膵臓を悪いものから良いものへ、つまり絶対に治らないとされていた膵臓の病気を克服してしまったのです。

映画「君の膵臓をたべたい」神社で祈る仲良しくん

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

お泊り旅行へいった際のおみくじ「病、やがて治る」はこれを占っていたんです。
そして最終的に実際的に桜良は、膵臓の病気では死にません
あの共病文庫もその最後は、希望に満ちた言葉で終わっているんです。
これは桜良がその意志と選択で運命を変えたと言えるんじゃないでしょうか?

言葉の使い方や言い回しの得意な彼女らしい結果ではありませんか?
もちろん【仲良し】くんが大きく変化した結果でもあります。

映画「君の膵臓をたべたい」共病文庫ラストページ

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

そしてこれは、【仲良し】くんの「君の膵臓をたべたい」と書かれたメールを桜良が読んだ証拠でもあると思うのです。

例えば桜良がどんなに望んでも祈っても、彼が遺書を実際に見るまでは、その本当の願いは12年間届かず一体化できませんでした。
その遺書を書いているときはもちろん、壁に閉じ込められているせいだと思いますが、彼の心の中に居るときもです。

それなのに【仲良し】くん側だけ、思っただけで言葉がテレパシーか何かのように空間飛び越えて伝播するとは考えにくい。
つまり一体化でもしない限り、言葉は直接見たり聞いたりしなければ伝わらないということなのではないでしょうか。

ということは桜良には【仲良し】くんの最後の言葉が具体的に届いたはずなんです。
ハッキリと文字として見たから、膵臓の意味が変わったと思うんです。

映画「君の膵臓をたべたい」仲良しくんメール画像2

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

ただし、膵臓の意味が変わり彼の心の中に入ることを許されたと同時に、彼女はそのあまりにも大きい代償を支払うことになってしまいます。

膵臓が変化したことにより意味を失った共病文庫は、つまり魂を失った肉体は死んでしまうのです。
共病文庫を殺すことと肉体を殺すことは同義だったんです。

逆の見方をすれば、病気と共に生きることから鞍替えして彼と共に生きるためには、肉体的な死という変化、旅行に行くなどという現実の破棄、そして病死以外の死因が必要だったとも言えるかもしれません。

桜良は共病文庫の中の人物として生き残りを計っていたフシがあります。
特に九州へのお泊り旅行時に生きたいと願い始めた頃から、具体的には「恋人じゃない男の子といけないことをする」にややそういう気配を感じます。

しかしその場合、つまり病と共に死んでいた場合、肉体的な死と共に心も死んでしまっていたのではないでしょうか。
少なくとも心を通い合わせ続けるといった状態ではなく、あくまでも死んだ人として扱われるというか、共病文庫と完全に同化してしまうというか。
なので、もしかしたら「死ぬまでにやりたいことリスト」などは実は未達成が正解だったのかもしれません。

もちろん共病という考え方があったからこそ桜良は色々な行動をしてきたと言えるし、その結果【仲良し】くんも変わったわけだから、共病文庫自体が無駄だったなんてことは決してありません。
ただ魂だけでも生き残らせるためには肉体という壁の破壊、つまり共病文庫の破壊が最終的には必要だったのではないか、という話です。

そしてさらに妄想を許してもらえるのであれば、実は共病文庫自体が自らの破壊を望んでいたような気すらします。
あの最初の病院のロビーでの落ち方、あるいはそもそも桜良が共病文庫を忘れるとか、なにかおかしくないですか?

映画「君の膵臓をたべたい」共病文庫外観

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

言い方を変えてまとめると、桜良の魂(膵臓)を【仲良し】くんの心の中へ移動させて生き続けさせるためには、桜良の魂(膵臓)を共病文庫(桜良の肉体)から切り離さなければなりません。
そしてその方法は、膵臓を良いもの(形而上の存在)に変化させて共病文庫(肉体)を意味の無いものにしてしまうこと、つまり共病文庫(肉体)という未来を妨げる壁を破壊してしまうことだったんです。

しかしその結果、目に見える結果としては、魂を切り離された肉体は、病死以外の方法で死んでしまうということだったんだと思います。

ともあれ、そうして彼の『君の膵臓をたべたい』により、桜良は健全な魂あるいは最良の膵臓として、未来を隔てる壁を越え、彼の心の中に入ることが出来たんだと思います。

 

さてさて、『君の膵臓をたべたい』の意味を一言でズバリと答えられますか?

 

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