マドリからみる映画『君の膵臓をたべたい』の謎と妄想

さくらの見える橋が象徴するもの

映画「君の膵臓をたべたい」メイン画像11

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

橋が象徴するものについて

映画のポスターやパッケージの表紙、サウンドトラックのジャケット、さらには公式サイトのメインイメージなどにも使用されている、桜の見える橋に立つ二人の画像。

いや本当にこの物語にふさわしい、美しくも暗示的な画ですよね。
このキービジュアルが気になって映画に興味を持った方も少なくないんじゃないでしょうか。

さて、キービジュアルの中でも存在感を放つこの橋自体は、何を象徴しているのか?

この橋も実は、というか当たり前かもしれないけど実在します。
あまりにも美しいから桜はCGかなとか欄干は塗り直したのかなとか思いましたけど。

京都にある「伏見であい橋」がそれになります。
桜が咲く季節になると本当にこのとおりになるんだから驚きですよね。

特徴的なのがT字の川に架かるY字型の橋ということ。
つまり3つの岸に架かる橋ということになります。

映画「君の膵臓をたべたい」橋俯瞰画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

では、この橋が最初に出てきたシーンとはどういう場面だったのか。
それはまだ桜良が図書委員にもなっていない頃の、朝の登校風景として登場します。

お互いに気付いたものの、手を振る桜良に【仲良し】くんが気付かないフリをする場面です。
そしてこの登校シーンは、桜良の親友である恭子が初登場する場面でもあります。
つまり、桜良と恭子と【仲良し】くんが同一のカット内に映る初めての3ショットでもあるのです。
しかも12年後の【仲良し】くんが他者との関係性の思い出を語った後のシーンとしてです。

映画「君の膵臓をたべたい」橋スリーショット

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

3つの岸に架かる橋、3ショット、そして関係性の話は偶然ですかね?
でも桜良によると偶然はないんですよね。

つまりこの桜の見える橋は人と人との「つながり」や「絆」を象徴しているんじゃないかと思います。

映画の持つテーマをビジュアル的に象徴しているのがこの橋なのではないでしょうか。
もちろん根本的なテーマは「生きる」みたいなことだと思うんですけど、それに対して桜良は「人と心を通わせること」みたいな答えを出しているわけですし。

まあもちろん、これは見ただけでもなんとなく分かります。
さらにここから妄想することが面白いんです。

 

橋の途中で命を落としたことについて

さらに、桜良はこの橋の上でその儚くも眩い命を落としてしまいます。
ではなぜこの橋の上で、橋を渡っている途中で死ななければならなかったのでしょうか?

せめて思い出の美しい場所で桜良を死なせてあげたかったのでしょうか?
逆に思い出の美しい場所で死なせることで残酷さを強調したかったのでしょうか?
まあどちらともありえるし、実際にそういう効果もあったと思います。

映画「君の膵臓をたべたい」桜良カバン画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

しかしこの橋が象徴するものからすると、すこし違う意味もあるんじゃないでしょうか?
つまり桜良はつながる、あるいはつなげる途中で死んでしまったとも言えると思うんです。

まず普通に考えれば、【仲良し】くんとのつながりが断ち切られたことを意味していると受け取れます。
しかし共病文庫の受け取りや12年後、その他を考えると桜良と【仲良し】くんの関係が切れたとは言い難いです。
それでは誰と誰のつながりのことなのか?

おそらく【仲良し】くんと恭子をつなげる途中で桜良がいなくなってしまったことを意味しているんじゃないかと思います。
実際、桜良は彼らを仲良くさせることができないまま死んでしまいます。
桜良にとっては最後の旅行に行けなかったことと同じか、それ以上に無念かもですよね。

そして12年後にその桜良の遺書が恭子に届けられます。

印象的なのは恭子が「桜良の遺書」を読み始めた時に、この桜の見える橋を渡る3人の登校シーンが回想されることです。
再び3人が揃った、という意図じゃないでしょうか。

つまり遺書が届いたということは、桜良あるいはその意志がついに桜の見える橋を渡りきり、【仲良し】くんと恭子を「つなげた」という意味なんじゃないかとも思うんです。

肉体は殺されたとしても、そんなことくらいで意志は死なない。
死んだことによって死なないことを、強い意志さえあれば必ず橋を渡り切れることを、人と人が通じ合えることを桜良がその身をもって証明したと言えるんじゃないでしょうか?

そしてこのことが、恭子と友達になることももちろんですが、他者との壁を作る【仲良し】くんに対する桜良からの最後のプレゼントのひとつにもなったんじゃないでしょうか。

映画「君の膵臓をたべたい」橋走る桜良画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

あまりにも感傷的過ぎますかね?
でも、桜良の人生はその最後の瞬間まで意味があったと思いたくないですか?

 

桜良が見つめているものについて

さらにこのキービジュアルにはこの作品ならではのモノが写っています。
もちろん桜良の共病文庫です。
では、この共病文庫を軸に一体何が分かるのか?

ちなみに小説や映画の内容を知らずにこのキービジュアルを見た人はどんな第一印象を持ちましたか?

まずは男の子と女の子が全然違うほうを向いているのが印象的ですよね。
男の子は本に目を落としているし、女の子はどこか遠くを見つめています。

それから二人の間にけっこうな距離があること。
まあなんとなく二人の人間関係にも距離を感じます。
そしてそんな二人の間に「君の膵臓をたべたい」のタイトル。

また、男の子と女の子はそれぞれ本を手に持っています。
映画の内容を知らないと、読書好きの二人の話かななどと思ったりします。
ところが女の子は全然本を読まないのでびっくりしたりします。

映画を観ると桜良はむしろその本を書く人だと分かります。
内容を知らない人は映画を観ないとそれが共病文庫だと分からないところがミソなんです。

あとは桜がきれいだなあとか橋が立派だなあとか、やや雲の多い空だなあとか。
このくらいがキービジュアルの第一印象と言ったところですかね。

映画「君の膵臓をたべたい」劇中イメージシーン

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

では、桜良はどこを見ているんでしょうか?

大事なはずの共病文庫を見ずに一体何を見ているんでしょうか?
ただなんとなく遠くを見ているだけですか?
ポスター用にカッコつけているだけでしょうか?
まあ、それももちろんあるでしょうけど。

【仲良し】くんにとって「本」は他者との壁、心の壁だと散々主張してきました。
さらに本にはドアのような役割もあり、本を開いて見るということはドアを開いて自分の心の中を見ている意味もあるとも言いました。

では、桜良にとって共病文庫という本は「何の壁」なんでしょうか?

この映画に出てくるものは大体「対」になっているというのが正しければ、【仲良し】くんの本が壁なら桜良の本も何かとの壁になっている可能性が高いですよね。

そもそも共病文庫というのは、病気と共に生きるという意味で名付けられた日記であり、実際にそのように病気のことも日常のことも書き込まれた本ですし、桜良自身もそのように生きています。

ところが当然ながら死に至る病と共に生き続けることはできません。
当然未来に待っているのは死のみです。
彼女自身の『未来の持ち合わせがない』という発言を聞くまでもありません。
逆にいえば、病気と共に生きている限り未来はないとも言えます。

つまり、共病文庫は未来との間にある壁、肉体の壁として象徴されているのです。

桜良の場合は彼女の肉体そのものが彼女の未来を邪魔しているんです。
意味が分かり辛ければ死の壁あるいは現実の壁、もしくは単純に彼女の肉体そのものを共病文庫は象徴していると思ってもらって構わないと思います。

要するに【仲良し】くんの本が「心」なら桜良の本は「体」と、ここも対になってるんじゃないかと思うんです。
ちなみに共病文庫は11月29日、いい肉の日から書き始められています。

映画「君の膵臓をたべたい」共病文庫11/29

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

ともあれ、桜良が共病文庫自体を見ているときは未来との間にある壁を見ていると言えます。

ところがこのキービジュアルでは共病文庫を見ていません。
桜良は共病文庫の向こう側を遠く見ています。

共病文庫の向こう側、壁の外には何があるのか?
もちろん彼女の「未来」があります。

それでは彼女の望む未来とは何か?
彼女の未来とはどこにあるのか?
本当は誰と共に生き続けたいのか?
誰の心の中に居たいのか?

答えは決まっています。
桜良は壁の外にある未来、つまり【仲良し】くんの心の中を見ているのです。

では、【仲良し】くんは本を開いて何を見ているのか?
もちろん自分の心の中を見ているのです。

つまり二人は、心の中を通してお互いに見つめ合っているんです。

それぞれが本の先と本の中、あるいは壁の外と壁の中を見ることによって、【仲良し】くんの心の図書館を通してお互いを見つめ合っているんです。
そして実際の図書館にもカウンターが向かい合うようにふたつあるんです。

映画「君の膵臓をたべたい」図書館カウンター画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

さらに背景の桜は、もちろん女の子の名前。
やや雲の多い空は「春の空」、つまり男の子の名前を意味しています。
春の空はうっすらとくもる日が多いんですが、雲は多くても冬とは違い明るく感じられるそうです。

そして少なくとも映画を観た後でないとおそらくこの本当の意味は分かりません。
それぞれの本が何を象徴しているかなどは映画を観ないとまず分からないと思います。

つまり映画を観る前と観た後でキービジュアルの意味が変化するんです。
バラバラだった目線が見つめ合うようになるんです。
橋が象徴する「つながり」が変化するんです。

ちょっとゾクゾクしてきませんか?

残念なことにAmazonプライムビデオのサムネイルとかだと違う画を使っていたりします。
サムネイルは画像が小さいことが多いから仕方ないんですけど、もしも意味を知らないで適当に使っていることがあるとしたらもったいないですよね。

ちなみに共病文庫が象徴するものについて一応補足があります。

共病文庫自体は未来との間にある壁、肉体の壁として象徴されていることは述べました。
では、桜良が共病文庫を開いているときは何を見ているかというと、【仲良し】くんと同じように自分の心の中を見ています。

さらに桜良の心自体は何で表現されているかというと、具体的な建物ではありません。
共病文庫に書かれた文字そのものが彼女の心を表しています。
桜良は自分で書くことが出来るし、思い出イコール書くことなので、まあそれはそうですよね。

ただし逆にいえば、それは共病文庫に心が囚われているという言い方もできます。
つまり桜良の魂が生き続けるためには、未来との間にある壁でもある共病文庫と心を、いつかは分けなければならないはずです。
そしてそのための方法、キーワードは何かということですよね。

映画「君の膵臓をたべたい」サウンドトラック画像

(c) 2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 (c)住野よる/双葉社

最後に二人の間にある映画タイトルについて。

縦文字の入り方は二人の間を邪魔しているようにも見えるし、逆に二人の世界をつなげているようにも見えます。
やはりこれも『君の膵臓をたべたい』という言葉の意味が映画の始まりと終わりで変化したことと、それによってバラバラだった二人がつながったことを意味しているんじゃないかと思います。
つまり映画のラストシーン、図書館の中で二人が見つめ合ったあと何が起こったのか。

ただ、これは『君の膵臓をたべたい』という言葉がむしろなぜ邪魔になっていたのかが分からないといけないのでなかなかハードルが高いですね。
二人をつなげたという意味だけならまあ分かりますし、横に入っている場合はそれだけの意味かもしれないですけど。

まあ、このタイトルの入り方にはバージョンが色々あってさすがにハッキリとしたことは言えないんですが、そこまで狙ったメッセージだとしたら、逆にキービジュアルの謎さえ解ければこの映画の形而上的な意味での謎はほとんど解けると言っていいかもしれません。

 

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